2020Sep北海道10Days DAY03-No.4 源義経と北海道

太平洋沿いの国道235号を左に折れ、内陸の国道237号へ入る。この道はおおむね沙流川に沿って日高までつづく。しばらく行くと左手に平取の町が見える。平取と書いて「ビラトリ」とよむ。バイクで走っているとつい素通りしてしまいがちだけど、この小さな町はけっこう興味深い。

まず、この町の外れにある「義経神社」。
「義経北行伝説」というのをご存じだろうか。兄・源頼朝に命を狙われ、奥州藤原氏の本拠地、岩手県平泉で自害したはずの義経はじつは生きていて、ひとまず北海道まで逃げた後、樺太を経て、満州、モンゴルまで至り、英雄ジンギスカンになって世界を征服し…という「おはなし」。さらにその「おはなし」を世に広めたのは江戸時代の鎖国中、長崎でオランダ人のふりして滞在していたドイツ人、シーボルトとだというのもおもしろい。遠い長崎で「鳴滝塾」を開いていた人ね。

こんな話モンゴル人にしたら怒って日本に攻め込んできそうだけど、義経は実は平泉から北海道に渡った、というあたりまでは、奥州藤原氏と黄金にまつわる日高アイヌのネットワークを生かせば(先の記事参照)十分ありうるのでは、ないかい!?

「おはなし」にはいろいろおヒレがついて、600年ほど経った頃にはその義経が現地のアイヌに農業や造船やらの技術を伝えたということになっていて、「ハンガンカムイ(判官の神?)」、つまり生き神様として奉られたりもしている。チンギスハンになったり、まったくいそがしい人だ。

この神社が創建されたきっかけはそれほど昔の話ではなく、いまから220年程前の江戸時代末期、1799年のころ。近藤重蔵という探検家が江戸幕府の命で「蝦夷地」を探検していた時、前述の「おはなし」を耳にしてなんとなく小さな祠をたて、そこに木彫りの義経像をおいてきたのがはじまりらしい。
これまた面白いことに、その近藤重蔵という人は北海道の歴史には欠かせないどころか、今も昔もさらには未来までも日本とロシアとの領土問題にもかかわってくる。いわゆる北方領土の択捉島に「大日本恵土呂府」の柱を立ててきたのがこのお方。北方領土にまつわる話はまた後日、根室と納沙布岬を訪れたときのことを書くときに少しふれてみたい。

この平取にはもひとつ興味深い話がある。それはアイヌの始祖伝説と宇宙人。
つづく。

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