2020Sep北海道10Days DAY03-No.3 黄金とアイヌ

シシャモに後ろ髪をひかれながらも先へ進む。

2018年9月6日、このあたりで震度7を記録した巨大地震が発生した。 いわゆる「平成30年度北海道胆振東部地震」。 土砂崩れなどで30人以上が亡くなった痛ましい災害だった。 被害は道路や鉄道だけでなく電力、水道、通信までおよび、遠く離れた札幌市内でも数日の間混乱は収まらなかったのを思い出す。 この辺りの被害状況や復興の様子などをこの目でみてみようと思っていたが、国道沿いを走る限りそんな大きな地震があったのかというくらい、目だった痕跡はなかった。

突然だけれども話はおおきく飛ぶ。

「住民は色が白く、文化的、物にめぐまれている。偶像を崇拝し、どこにも属せず独立している。黄金は無尽蔵にあり、王は輸出を禁じている。しかも大陸から非常に遠く、商人もこの国をほとんど訪れない。そのため黄金が想像のつかないほど豊富である」
「宮殿の屋根はすべて黄金でふかれており、その価値はとても評価できない。その宮殿内の通路と部屋の床は、板石のごとく4センチの厚さの黄金の板をしきつめてある。窓さえ黄金でできているのだから、この宮殿の豪華さは、まったく想像を超えている」

これは800年ほど前に書かれた本の内容だけれども、さらにこう続く。

「いまのハーンのフビライはこの島が極めて裕福なのを知り、占領する計画を立てた」と。

この書はかつて存在したフビライ・ハン率いるモンゴル帝国を訪れたヴェネツィア商人マルコ・ポーロが、その経験について後年著した「東方見聞録」の中で「ジパング」について記した箇所。
中学生の頃に授業でこの話を聞いて「日本が黄金島!?そんなワケないじゃん(笑」と思っていたが(歴史の先生もそう言っていた)、どうやらこれはいまの岩手県平泉にある「中尊寺金色堂」のことであることを後年になって知る。

(中尊寺建立は1124年、フビライがモンゴル皇帝だった期間は1260-95年)

当時の奥州藤原氏の治める東北地方は黄金が産出され、その豊富な経済力を背景に京都の朝廷からも独立した存在であったが、その東北地方の黄金も12世紀には採掘に陰りが見えていたようで、中尊寺金色堂に使われている黄金の一部は東北産のものではなかったらしい。

モンゴル、ヴェネツィア、平泉と随分遠回りをしたが、ここでようやく話は北海道に戻る。

その中尊寺で使われていたという黄金はこの厚真のあたりの黄金の成分と極めて近いのだという。そして周辺の遺跡などからは12世紀頃に本州で作られた陶器や漆器が出土している。

つまりすくなくともいまから900年ほど前の平安時代から鎌倉時代が始まる頃からすでに和人はアイヌと交易していて、またアイヌも黄金の価値を理解し、自らの手で黄金を掘り出し、それで和人からモノを購入し文化も取り込んでいったと思われる。現代に生きるぼくらも、それがアイヌという共同体の運命にその後どのような変化をもたらしたかということに思いを巡らせてみるのもよいだろうと思う。シシャモや競走馬ばかり追いかけていないで。


ちなみに金という物質は地震の多いところで産出する事が多いという。想像を絶する地殻の巨大な圧力と地層の成分が黄金が生成するのかもしれない。そういえば2011年、東日本大震災のおきた三陸もまた、かつては黄金の産出地であった。


と、こんなことをつらつらと考えながら走っていると、道路上の電光掲示板には「えりも地方 濃霧」のサイン。このまま浦河、えりも方面へ進む予定だったのだが、濃霧で視界がなくなるのはおもしろくないのでルートを変更。国道273で内陸へ入り、樹海ロードで日勝峠を越えて帯広へ向かう。

DAY03-No.4につづく

カテゴリー: Touring in Japan, XRV750 Africatwin RD07A, unclassified パーマリンク