リスボン郊外「発見のモニュメント」

さてリスボン。
この街にはきっといろいろ見所があるのだろうけど、
ぼくが訪れたかったところはリスボンの郊外、
ベレン地区にある「発見のモニュメント」。

過去のポルトガルの栄光「大航海時代」を切り開いた人たちをあしらったモニュメント。
ポルトガル語では<Padrão dos Descobrimentos(パドラオン・ドス・デスコブリメントス)>。
製作されたのは1960年代のサラザール独裁体制下で
特に歴史があるわけでもないのだけれど。

船の舳先に見立てたモニュメントの先頭に立つのは<エンリケ航海王子>。
当時のポルトガル王国の王子。
他のヨーロッパ諸国に先立ち、国家事業として
アフリカ大陸方面への航路を開く先鞭をつけた人。

そのポルトガルで航海技術を身につけ、
1492年にスペインから大西洋を西進、
アメリカ大陸を「発見」したのがイタリアの海洋都市ジェノバ出身の
<クリストバル・コロン>、
英語風に発音すると<クリストファー・コロンブス>。

そのコロンブスに「西周り航路」のヒントを与えた本が
僕らの国を「黄金の国ジパング」としてヨーロッパに紹介した<百万の書>。

それを著したのがイタリアの海洋都市ヴェネチア出身の商人
<マルコ・ポーロ>。
その著書の一部分をさして「東方見聞録」という。

その<百万の書>の内容は、マルコ・ポーロが当時ユーラシア大陸に覇を唱えたモンゴル大帝国の首都・大都(カン・バリク)にて
大カアン「フビライ・ハン」に仕えていたときのことを後年記述したもの。

そのモンゴル帝国が瓦解してできた国々が
現在のロシア連邦の前身、ロシア帝国であり、
現在のトルコ共和国他中東全域を治めたオスマン帝国であり、
現在の中央アジア全域を治めたティムール帝国であり、
現在のインドの前身、ムガール帝国もしかり、
現在のイランの前身、サファビー朝もまたそうであり、
現在の中華人民共和国もまたそうともいえる。

なお、モンゴル帝国が創った大都カン・バリクは現在北京と呼ばれている。


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