2020Sep北海道10Days DAY03-No.6 帯広、ヤドカリの家

国道237を北へ進み、道の駅日高を左に折れて国道274、通称「石勝樹海ロード」をゆく。この先の日勝峠、はれたら十勝平野を望むよいパノラマ、なんだけどどう見てもどうみても雲に覆われている。

雨は降っていたが意外にも道の視界は悪くなかった。が、日勝峠を越え、道が下りに転じた直後のトンネルを出たとたん、雲に覆われ一瞬のうちに視界がなくなる。幸いすぐに近くに避難できる場所があったので、じぶんの後に大きいトラックが通過するのを待ち、そのテールライトを追いかけるようにして無事に道を下ると十勝清水。


ここからは帯広市街まで30分ちょっと。時刻はすでに16時を過ぎて暗くなりかけていた。<Go toトラベル>を利用して十勝川温泉に素泊まりで泊まるか、帯広駅前のビジネスホテル泊か。考えあぐねながら、とりあえずJR帯広駅をめざして進む。

走行中、ずいぶん昔に訪れたライダーハウスがあったことを思い出した。名前はたしか、ヤドカリ。当時はカニの家やミツバチの巣?などたくさんのライダーハウスがあってどこも旅人でいっぱいだったけど、今はもう宿もライダーも少ないのね。今年のツーリングマップルにまだ載っているので立ち寄ってみる。正確には20年前に一度訪れたけど、気の弱い学生だったぼくは、独特の雰囲気に気圧されてしまい、泊まらずに素通りしてしまったのだった。現在はどうなっているのか。

ライダーハウス「ヤドカリの家」。実際に泊まってみると帯広駅近、近くにスーパー、ホームセンター、温泉があり立地条件は申し分ないうえにオーナーご夫婦の人柄、何気ない心遣いと丁寧なコミュニケーションが大変うれしく、また一期一会、同宿の旅人にも恵まれとても心地よい一夜だった。感謝。

つづく

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2020Sep北海道10Days DAY03-No.5 義経と狼と宇宙人

アイヌの始祖伝説について。
北海道にはアイヌ関連の施設が各地にチラホラあり、住んでいた住居が再現されていたり、着ていた衣服や使っていた道具などはきれいに洗浄されてガラスケースの中に納まっていたりしている。が、こと言語や伝承、伝説の類についてはどうも歯切れが悪い。文字を持たなかったゆえ十分なカタチで後世に残らなかったのだろう。そのなかで気づいたことは彼らの「始祖伝説」にはおおむねふたつの系統があるようだ。ひとつは「狼系」、もう一方は「降臨系」。

前者の「狼系」はざっとこんな感じ。
<…昔、日高の海岸にどこかの国の女神が小舟で流れ着いた。海岸で困っていると、狼が現れて助けてくれた。狼は女神を沙流川の上流へ連れていき、そこで一緒に暮らした。そのオオカミと女神の間にできた子供らがアイヌの祖先になった>というお話。

どのような印象をもつだろう。
北海道の狼は明治時代に絶滅してしまったので、すぐにはピンとこないかもしれないけど、昔は「エゾオオカミ」という、ニホンオオカミとは微妙に異なる種の狼が生息していたらしい。「熊送り(イヨマンテ)」であれだけ熊を神聖な神の使いとして扱っておいてなぜかここは狼。アイヌにとっては狼の方が格上なのかしら。「エゾオオカミ」は開拓時に銃や毒餌などで徹底的に殺処分されて絶滅に至ったが、その際アイヌはその非道に抗議したというはなしは聞いたことがない。

ところでこうした「狼と交わった」系の始祖伝説はユーラシア大陸北部のモンゴル高原周辺にいた遊牧民や狩猟民、とりわけ「テュルク系」遊牧民のあいだで広まっている始祖伝説と非常によく似ている、とぼくは思った。実際そちらから伝わったのだとしたら、伝播ルートはやはりモンゴル高原またはバイカル湖→アムール川→サハリン→北海道というルートだろうか。 

さて、もうひとつの「降臨系」は日本の「天孫降臨」とよく似たタイプ。
口承なので北海道の各地にいろんなパターンがあるようだ。
基本的に「オキクルミカムイ」という神さまが降臨して、人々に家の建て方や農業、造船の技術を伝えた、というもの。その神様が降臨したのがここ平取にあるハヨピラという場所だそうで。残念ながらこの神様を奉る建物や奉納するアイヌ式の舞や歌なども特に残っていない。おそらく先の義経神社はこのオキクルミカムイの伝承と、義経北行伝説を重ね合わせた、江戸幕府による当時のアイヌ同化政策の一環だったのだろうと想像する。

源義経、狼、オキクルミカムイといろいろ登場してきたが、最後に登場するのは「宇宙友好協会」というUFO研究団体。

なんでも天から降臨したというオキクルミカムイは「宇宙人にちがいない」と主張し、UFOとコンタクトを取るべく、平取の小高い丘を購入し、そこになんとUFO基地を作ってしまった。うーむ、このようなオカルト系の人たちの行動力は生半可ではない。1960年代のことである。その後主催者はUFOに無事?連れ去られたのか、行方不明になってしまい団体は雲散霧消、UFO基地だけ放置されて廃墟となって現在に至る。その廃墟はいまも平取の町のはずれのハヨピラにある。
義経、オキクルミ、UFO、廃墟、ダム、狼伝説。
このように刮目すべき平取だが、最後に二風谷アイヌ文化博物館を覗いて先へ進むことにする。

つづく

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2020Sep北海道10Days DAY03-No.4 源義経と北海道

太平洋沿いの国道235号を左に折れ、内陸の国道237号へ入る。この道はおおむね沙流川に沿って日高までつづく。しばらく行くと左手に平取の町が見える。平取と書いて「ビラトリ」とよむ。バイクで走っているとつい素通りしてしまいがちだけど、この小さな町はけっこう興味深い。

まず、この町の外れにある「義経神社」。
「義経北行伝説」というのをご存じだろうか。兄・源頼朝に命を狙われ、奥州藤原氏の本拠地、岩手県平泉で自害したはずの義経はじつは生きていて、ひとまず北海道まで逃げた後、樺太を経て、満州、モンゴルまで至り、英雄ジンギスカンになって世界を征服し…という「おはなし」。さらにその「おはなし」を世に広めたのは江戸時代の鎖国中、長崎でオランダ人のふりして滞在していたドイツ人、シーボルトとだというのもおもしろい。遠い長崎で「鳴滝塾」を開いていた人ね。

こんな話モンゴル人にしたら怒って日本に攻め込んできそうだけど、義経は実は平泉から北海道に渡った、というあたりまでは、奥州藤原氏と黄金にまつわる日高アイヌのネットワークを生かせば(先の記事参照)十分ありうるのでは、ないかい!?

「おはなし」にはいろいろおヒレがついて、600年ほど経った頃にはその義経が現地のアイヌに農業や造船やらの技術を伝えたということになっていて、「ハンガンカムイ(判官の神?)」、つまり生き神様として奉られたりもしている。チンギスハンになったり、まったくいそがしい人だ。

この神社が創建されたきっかけはそれほど昔の話ではなく、いまから220年程前の江戸時代末期、1799年のころ。近藤重蔵という探検家が江戸幕府の命で「蝦夷地」を探検していた時、前述の「おはなし」を耳にしてなんとなく小さな祠をたて、そこに木彫りの義経像をおいてきたのがはじまりらしい。
これまた面白いことに、その近藤重蔵という人は北海道の歴史には欠かせないどころか、今も昔もさらには未来までも日本とロシアとの領土問題にもかかわってくる。いわゆる北方領土の択捉島に「大日本恵土呂府」の柱を立ててきたのがこのお方。北方領土にまつわる話はまた後日、根室と納沙布岬を訪れたときのことを書くときに少しふれてみたい。

この平取にはもひとつ興味深い話がある。それはアイヌの始祖伝説と宇宙人。
つづく。

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2020Sep北海道10Days DAY03-No.3 黄金とアイヌ

シシャモに後ろ髪をひかれながらも先へ進む。

2018年9月6日、このあたりで震度7を記録した巨大地震が発生した。 いわゆる「平成30年度北海道胆振東部地震」。 土砂崩れなどで30人以上が亡くなった痛ましい災害だった。 被害は道路や鉄道だけでなく電力、水道、通信までおよび、遠く離れた札幌市内でも数日の間混乱は収まらなかったのを思い出す。 この辺りの被害状況や復興の様子などをこの目でみてみようと思っていたが、国道沿いを走る限りそんな大きな地震があったのかというくらい、目だった痕跡はなかった。

突然だけれども話はおおきく飛ぶ。

「住民は色が白く、文化的、物にめぐまれている。偶像を崇拝し、どこにも属せず独立している。黄金は無尽蔵にあり、王は輸出を禁じている。しかも大陸から非常に遠く、商人もこの国をほとんど訪れない。そのため黄金が想像のつかないほど豊富である」
「宮殿の屋根はすべて黄金でふかれており、その価値はとても評価できない。その宮殿内の通路と部屋の床は、板石のごとく4センチの厚さの黄金の板をしきつめてある。窓さえ黄金でできているのだから、この宮殿の豪華さは、まったく想像を超えている」

これは800年ほど前に書かれた本の内容だけれども、さらにこう続く。

「いまのハーンのフビライはこの島が極めて裕福なのを知り、占領する計画を立てた」と。

この書はかつて存在したフビライ・ハン率いるモンゴル帝国を訪れたヴェネツィア商人マルコ・ポーロが、その経験について後年著した「東方見聞録」の中で「ジパング」について記した箇所。
中学生の頃に授業でこの話を聞いて「日本が黄金島!?そんなワケないじゃん(笑」と思っていたが(歴史の先生もそう言っていた)、どうやらこれはいまの岩手県平泉にある「中尊寺金色堂」のことであることを後年になって知る。

(中尊寺建立は1124年、フビライがモンゴル皇帝だった期間は1260-95年)

当時の奥州藤原氏の治める東北地方は黄金が産出され、その豊富な経済力を背景に京都の朝廷からも独立した存在であったが、その東北地方の黄金も12世紀には採掘に陰りが見えていたようで、中尊寺金色堂に使われている黄金の一部は東北産のものではなかったらしい。

モンゴル、ヴェネツィア、平泉と随分遠回りをしたが、ここでようやく話は北海道に戻る。

その中尊寺で使われていたという黄金はこの厚真のあたりの黄金の成分と極めて近いのだという。そして周辺の遺跡などからは12世紀頃に本州で作られた陶器や漆器が出土している。

つまりすくなくともいまから900年ほど前の平安時代から鎌倉時代が始まる頃からすでに和人はアイヌと交易していて、またアイヌも黄金の価値を理解し、自らの手で黄金を掘り出し、それで和人からモノを購入し文化も取り込んでいったと思われる。現代に生きるぼくらも、それがアイヌという共同体の運命にその後どのような変化をもたらしたかということに思いを巡らせてみるのもよいだろうと思う。シシャモや競走馬ばかり追いかけていないで。


ちなみに金という物質は地震の多いところで産出する事が多いという。想像を絶する地殻の巨大な圧力と地層の成分が黄金が生成するのかもしれない。そういえば2011年、東日本大震災のおきた三陸もまた、かつては黄金の産出地であった。


と、こんなことをつらつらと考えながら走っていると、道路上の電光掲示板には「えりも地方 濃霧」のサイン。このまま浦河、えりも方面へ進む予定だったのだが、濃霧で視界がなくなるのはおもしろくないのでルートを変更。国道273で内陸へ入り、樹海ロードで日勝峠を越えて帯広へ向かう。

DAY03-No.4につづく

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2020Sep北海道10Days DAY03-No.1 異文化への旅


札幌市内は朝から雨模様。
朝7時には起きて、iPhoneでせっせと道内各地の天気を調べていた。

今回のツーリング 、道内は7日間。あまり時間に余裕はない。
イクラやカニをたべて無料の温泉に飛び込んで安宿でダラダラ過ごすような若い頃を思い出すツーリングもよいが、今回はアイヌ文化をたずね、ロシアとの交流の歴史をたどる、つまり異文化にすこしでもふれて理解を深められるような、そんな成熟したオトナのツーリングにしたい。

というのはタテマエで、やはり道東の海沿いで美味しいものをお腹いっぱい食べるのが主な目的のひとつであったりする。

フェリー内で練っていたプランでは道内初日は静内・襟裳岬経由で帯広あたりまで行くつもりだった。苫小牧ちかくの白老町に今年の7月にオープンしたアイヌ文化施設「ウポポイ」に立ち寄ってから、新ひだか町の「アイヌ民俗資料館」のある真歌公園とそこにあるよく分からない理由で近年新しく建て替えられたという「シャクシャイン像」などを見て襟裳岬から北上して帯広へ、という案であった。

北海道にはバイクでは20回ほど来ているはずだが、道内各地に点在するこうしたアイヌ関連の施設にはあまり立ち寄った覚えがない。単に興味がなかっただけのようにも思うし、あるいはなにか漠然とした後ろめたいものがあったのかもしれない。はたまた妙にキレイなアイヌ関連施設の背後になにかキナくさい存在を 感じていたような気もする。

たまにアイヌ関連の施設に訪れてみても、そこでの案内では「アイヌ」と「和人」は敵対関係にあり「自然と共に生きる心優しきアイヌ」が「獰猛残虐で騙まし討ちをする卑怯な和人」に「一方的に侵略」された、というようなわかりやすいといえばわかりやすい、白か黒かという安易な二項対立で説明されることが、その頃は多かったように思う。


さてこのウポポイ。
たしか以前は「白老ポロトコタン」というポロト湖の湖畔にひっそりとたたずむ施設だった。もともとこのコタンの住人はもう少し南の日高のあたりに居住していた、和人とは「協力関係」にあったサル ウン クル(沙流川に住むアイヌ)系統の人たちが移住して出来たコタンだった。たしか 今から130年ほど前に 明治天皇もこの白老コタンに訪れて一泊、当のアイヌの人々は最高の儀礼「熊送り」で明治天皇を歓待したという。

その白老ポロトコタンが今年の7月に「民族共生象徴空間」という肩書きがついた巨大な施設に生まれ変わった。近年頻発した台風や地震の自然災害で道や橋などのインフラに大きい被害を被った北海道で、どれほどの予算が割かれたのかは、まぁ一介の単なる旅行者の知るところではない。

不覚にもその「ウポポイ」が感染症対策のため事前に予約しないと入れないということを当日の朝にiphoneではじめて知る。しかも当日の予約はすでにいっぱい。いきなり予定は変更になってしまった。また次回訪れよう。何年後になるだろうか。

それにしても、人数制限のある予約制の観光施設なんて僕の経験でしりうるところでは、ポーランドにあるアウシュビッツ収容所やバチカンのシスティナ礼拝堂、パリのルーブル美術館、スペインのアルハンブラ宮殿くらいだ。いくらコロナ対策とはいえウポポイにそれが必要なほど人が集まるとは思えないのだが。


いきなりの予定変更と強まってくる雨に出鼻をくじかれてしまい、札幌市内の常宿でウダウダと時間をすごしていたが、ようやく10時過ぎ、入念にカッパを着込んで出発する。向かう先はやはり南。アイヌのふるさと日高方面をめざして札幌北ランプより高速道路に乗り、いよいよ旅ははじまった。

Day03-No.2につづく

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